名まえは祝福の呪文
ことばは、美しい祈りである、と、私は幼い頃から感じていた。
その昔、女が男に名を教えることは、魂を触らせる行為だった。
その女が生まれたとき、名を与えた年長者は、彼女へのいのちの祈りを名前に託したはずである。
名を呼ばれるということは、名の持ち主にとって祝福の呪文なのだ。
名を呼ばれれば、何度でも、人生の初めに与えられた美しい祈りが繰り返される。
彼女の美しい名を呼んだ者にも、その照り返しの祝福がある。
幼い頃の私には、人が人の名を呼ぶ瞬間の祝福の魔法が、実は見えたのである。
不思議なことだけど、きらきらとこぼれる光のように見えたのである。
残念なことに、長じた今では、こぼれる光のようには見えなくなった。
けれど、感じることはできる。人の名だけではない。
ことばの多くは、その存在だけで、私たちを祝福している。
だからね、私は、愛しいひとに名を呼んでもらうのが、何より好きなのだ。
「感じることば」(筑摩書房、黒川伊保子著)より